April 2024
- English
- 日本語
日本古来のサクラを描いた日本画の傑作
サクラを描いた、日本画は数々ある。中でも日本古来のサクラの美しさが際立つ二つの作品を紹介する。所蔵先の美術館に絵画の特徴、魅力などを聴いた。
最初に紹介する作品は、堂本印象(どうもと いんしょう)*の「木華開耶媛(このはなさくやひめ)**」だ。所蔵先の堂本印象美術館(京都市)の館長、三輪晃久(みわ あきひさ)さんは、この絵の魅力をこう語る。「こちらの絵に描かれた人物は、日本神話***に登場する、サクラ(木の華(はな))のように麗しい女神を描いています。印象の末の妹がモデルとされています。古来から日本人に愛されてきた満開のヤマザクラやヤエザクラを背景に、スミレやタンポポなど春を象徴する草花が足元を彩っています。ほんのりと高揚した頬や目元、手足のしなやかさが神秘性とともに官能性をも醸し出していて、数々の堂本印象作品の中でも特に人気の高い作品です。満開の桜の木の下に座る美しい女神の姿という、日本人の心の琴線に触れる要素を完備しているということでしょう」と三輪さんは絵の魅力を語る。
二つ目の作品は、奥村土牛(おくむら とぎゅう)****の「吉野」だ。この絵に描かれているのは、古くからサクラの名所として名高く、信仰の地ともされてきた奈良県吉野山(よしのやま)だ。吉野山は、修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)*****が7世紀後半、金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)******の姿を、ヤマザクラの木に刻んで祀ったことで知られている。その信仰の証として、信者たちによって、主にシロヤマザクラが植え続けられ、その数は約三万本ともなって独自の景観を作り出している。この山を描いた作品について、所蔵先の山種美術館館長の山﨑妙子(やまざき たえこ)さんによると「念願かなって奥村土牛が初めて吉野山を訪れたのが83歳。その後、再度、吉野山を訪れて絵を完成させたといいます。土牛は、吉野山についてこう語っています。“華やかというよりも、気高く寂しい山であることを知った。いざ制作している中(うち)に、何か荘厳の中に目頭が熱くなった。何か歴史画を描いて居る思いがした”。本作品は吉野山の歴史の重みを感じながらの制作であったのかもしれません。土牛は、薄い絵の具を何重にも塗り重ねられて作られる、淡い色調によるおおらかで温かみがある作風が特徴です。美術館で展示される際にはぜひ実物をご覧いただきたいと思います」。
サクラの名画を見ながら、春の訪れを楽しんではいかがだろうか。
* 1891年-1975年没。京都出身、京都画壇で活躍した日本画の画家。日本と西洋、具象と抽象の壁を越えて多彩な画業を残した。堂本印象美術館は生前に自身でデザインした。
** 日本神話に登場する女神の一人。その名は、サクラの花の美しさを表したのではないかと言われている。
*** 古代より日本各地に伝わる神や女神にまつわる物語。8世紀始めに成立した古事記は、その日本の神話を含んでいる。
**** 1889年〜1990年。37歳で日本画の公募展に初入選するという遅咲きの日本画家であったが、生涯制作を続けた。20世紀を代表する日本画家。
***** 7〜8世紀に奈良県を中心に活動していた、修験道の開祖。修験道とは、日本古来の山岳信仰に、仏教や密教などの影響を受けてかたち作られ、山での修行に身を置く日本独自の宗教であり、信仰形態。
****** 修験道の最高の礼拝対象の菩薩。